<ゼロヨンに夢中>
GTRが完成した時期と前後して今までゼロヨン計測で定番であった谷田部テストコースが
使用できなくなり、大会は仙台・セントラルと場所を移していきました。
この仕様時のベストタイムはたしか10秒5くらいだったと思います。
MAXブーストもまだ1.8kくらいでまだまだエンジンを大事に?していた頃でした(笑)
タイムが縮まりはじめたのはタービンをT51Rに変更してからでした。
インジェクターも今までの720ccでは足りなくなり、1000ccへとステップUP。
ブーストもちょっとあげて2.0kへ。
セントラルサーキットでシェイクダウンでしたが練習走行で今まで勝ち目のなかったGTRを
あっさり破り、決勝での好記録に期待がかかりました。
ちなみにこのときのドライバーは現ファクトリー店長の内野です。
トーナメント方式の決勝では10秒3あたりを連発して順当にベスト8へ。
しかし、ベスト4決定戦でゴール通過後に配管抜けのトラブルが…
タイム的には勝ち上がっていたのですが、次の対戦までに数分しか時間がなく
結果的に準決勝で不戦敗になりました。
このときに記録したのが10秒1。ベスト4進出した他のGTRが9秒8前後を記録していた事を
考えれば大健闘だと思いますが、不戦敗の悔しさが更にゼロヨンへのめり込んでいくキッカケに(^_^;)
この後、HKSドラッグミーティングをメインに出場し、竜ヶ崎でタイムアタックする事に。
竜ヶ崎は飛行場を貸し切って行われる為、バーン禁止でタイム的にも仙台よりも落ちる事が
予想されていました。
当面はここで9秒台と目標を決めて、大会に出場していましたが仕様変更を行わないとやはりタイムも
伸びず、しばらく10秒前半をウロウロしていました。
タイム的に変化が出たのはサージタンクをトラスト製に変更して、ブーストをまたちょい上げの2.2kにしたときでした。
中間域のトルクが劇的に良くなった事もあり0〜200区間のタイムが一気に縮まりタイムも目標の9秒8を記録。
エンジン本体も全く壊れる気配もなく好調そのものでした。
出来上がってから一度もエンジンブローする事無く、ここまでこれたのは自分なりに自信がもてましたし、
GTRのエンジンのポテンシャルを再認識させられました。
しかし、このときに大事なものを忘れていた事も事実です。
エンジンをいじる楽しさ、タイムを競う勝負に目を向けすぎて、自分がGTRに乗らなくなっていたんですよね(>_<)
乗っても自分には操れないと感じて、ドライバーを店長の内野に任せて作り手に専念していました。
この事に気づいたのはGTRが廃車になり、しばらくしてからの事でした。
そして、運命の仙台ハイランドデビューへ
第6章へ